長野の金

 幼いときから、父と共にすべってきた。8年前、まだ17才だった里谷多英は、リレハンメル五輪11位を獲得(かくとく)した。
 そして、次回日本開催のオリンピックに燃える。
しかし、長野オリンピックの前年。最高のコーチでもある最愛の父の死。引退(いんたい)も考える。それどころか、スキー自体をやめてしまおうとも考える。
彼女は言う、

「お父さんにほめてもらえるのがうれしくて、スキーをしてきました。」
しかし、里谷多英は長野にやってきた。21才。彼女は再びオリンピックの大舞台へ。

金メダル獲得。里谷多英は語る。
「父と一緒に滑りました。」
「でも、私のために滑りました。」
「そして、みんなにありがとうと言いたい!」

長野の後、迷いそして再起(さいき)

 長野オリンピックの大騒ぎが沈まる。
「お父さんは今も大きな存在です。お父さんがいなかったら、メダルはとれなかった。お父さんってすごい」
でも、その父はもういない。長野も終わった。もう普通の生活にもどってもいいかもしれない。引退(いんたい)を考える。
「自分が何をしたいのか、わからなくなっていたんです」
それでも、彼女は競技を続ける。だが、成績は振(ふ)るわない。そして大きなケガ。左足首骨折。しかし、この大ケガが、里谷多英を再び成長させる。
「滑れないことがあんなにつらいとは思わなかった。それからはもう、滑りたくて滑りたくて仕方なかった」。

銅メダル!

 ソルトレークで、あの最高の滑りがよみがえる。里谷多英はレースの前にこう思ったと語る。
「お父さん、手伝わなくていいから、見ていてね。」

      レース後は、こうも語る。

「すごい、最高にうれしい。前回のメダルは(亡くなった)お父さんが取らせてくれたけど、今回は自分の力で取るぞ、と思ってとったからうれしい。〜4年間頑張って取ったものだから、すごいうれしい」 
「長野のときは直前に亡くなった父の力で取れた金メダルでしたが、今回は自分の力で頑張ろうと決めたオリンピックだったので、私にとって自分の力でメダルを取ったという気持ちが大きいです。」

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